馬鹿なことに本気になれた頃――村上龍『69 sixty nine』
村上龍の作品を続けて読んでいた頃に手に取った一冊。
『69 sixty nine』というタイトルどおり、舞台は1969年。ベトナム反戦運動や学生運動が広がり、街ではビートルズやローリング・ストーンズが流れていた時代である。
物語の舞台となるのは、米軍基地のある長崎県佐世保市。高校3年生のケンたちは、学校や教師、大人たちがつくった秩序に反発しながら、バリケード封鎖やフェスティバルの開催を計画していく。
と書くと、何やら重く政治的な小説のように聞こえる。
しかし、彼らを動かしているのは、確固たる思想や立派な使命感だけではない。女の子に格好よく見られたい。退屈な毎日を面白くしたい。どうせなら、誰もやったことのないことをやってみたい。
そんな不純で、単純で、若さに満ちた衝動である。
自分が生まれるより前の時代を描いた物語なので、1969年の空気を実際に知っているわけではない。
考えるより先に動き、失敗すれば慌て、それでも懲りずに次の計画を立てる。やっていることは無茶で、ときには馬鹿馬鹿しい。けれど、その馬鹿馬鹿しさへ本気で飛び込んでいく姿がまぶしい。
くだらないことに本気になれる時間
僕自身も、学生時代を振り返れば、くだらないことに本気になった記憶がある。
そのときは、それが人生にとって何の役に立つのかなど考えていなかった。仲間と一緒にいることや、その場を面白くすることのほうが大切だった。
大人になると、行動する前に結果や損得を考えるようになる。
時間を使う価値があるのか。失敗したらどうするのか。周囲からどう見られるのか。そうして慎重になることは、社会で生きるうえでは必要なのだろう。
けれど、慎重さと引き換えに失ってしまうものもある。
後から考えれば、馬鹿だったと思うのかもしれない。
それでも、その馬鹿なことに本気になった時間は、案外いつまでも忘れない。
明るくても、やはり村上龍らしい
以前、村上龍の作品には、自分の中でいくつかの系統があると書いた。
『限りなく透明に近いブルー』や『トパーズ』『ストレンジ・デイズ』のような退廃・絶望系。『半島を出よ』『希望の国のエクソダス』『オールド・テロリスト』のようなテロ・サバイバル系。そして『コインロッカー・ベイビーズ』のようなディストピア系。
『69 sixty nine』は、それらとはかなり印象が違う。
暗さや絶望に覆われた物語ではなく、笑いながら読める場面が多い。村上龍作品の中では、比較的気軽に楽しめる青春小説だと思う。
ただ、作品を動かしている過激さやエネルギーは、ほかの小説にも通じている。
村上龍の描く人物は、絶望の中で暴れることもあれば、生き延びるために戦うこともある。本作の高校生たちは、退屈に呑み込まれないために騒ぎを起こす。
向かっている方向は違っても、内側にある熱量は同じなのかもしれない。
読み終えたあとに残ったのは、爽快さだった。
僕は映画版を観ていないので、頭の中にあるのは小説から想像した1969年の佐世保だけだ。
『69 sixty nine』は、そんな青春の勢いを笑いながら味わい、過ぎ去った自分の時間にも、少しだけ思いを戻してくれる一冊だった。
この記事で扱った本
Amazonで見る69 sixty nine