ありえない。けれど、ありえなくもない。――『半島を出よ』を何度も読む理由
村上龍の小説はかなり読んできた。その中でも『半島を出よ』は、間違いなく自分のベスト3に入る。
ずっと印象に残っていて、今回、たぶん20年ぶりくらいに読み直した。『愛と幻想のファシズム』『希望の国のエクソダス』も続けて再読した。好みは変わらない。やはり、めちゃくちゃ刺さったし面白かった。
ほかの人の感想を調べてみると、途中で挫折した、登場人物が多すぎて無理だった、という声をけっこう見かけた。でも、なぜか僕には合っているのか、めちゃくちゃ集中できる。面白すぎるんだよね。
たしかに登場人物は多い。ただ、ことこの本の場合、一瞬しか登場しない人物もいるし、全員が重要な役目を担うわけでもない。だから、一人ずつ覚え込もうとはしていない。好みは分かれるらしいけど、僕は絶賛。
北朝鮮の「反乱軍」を名乗る武装コマンドが福岡ドームを占拠し、福岡市を制圧する。
読んだことのない人に、何度か勧めたことがある。
「だって北朝鮮が福岡ドーム占領しちゃうんだよ?! 信じられる?」
こんな勧め方である。
「いや、さすがにそんなことは起きないだろう」
そう思う一方で、読み進めるほど、完全には否定できなくなってくる。
ありえない。けれど、ありえなくもない。
その境目へ、じわじわと連れていかれる。
細部が、空想を現実に変えていく
北朝鮮で暮らす人々の生活や環境。兵士たちが置かれてきた境遇。彼らが抱える感情。
実際に見たことのない国の話なのに、読んでいるうちに、その場所の空気や匂いまで感じられるような気がしてくる。
占領軍の側にも、それぞれの人生がある。単純な悪役として配置されているわけではない。なぜそこにいるのか。何を恐れ、何を信じているのか。細かな心情まで描かれるから、敵味方という単純な分け方では読めなくなっていく。
それだけではない。登場する武器の種類や、その扱い方。建物の構造や爆破の方法。物語全体を支える一つひとつの描写が、とにかく細かい。
気づかないうちに、完全に作品の中へ入り込んでいた。
北朝鮮の側にも感情移入できちゃうのが凄い。これほど濃密な世界を成立させるには、いったいどれほど調べたのだろう。取材量と取材力の凄さを感じるのは、そういうところだ。
映像を見ても、信じられない
福岡ドームが占拠され、その様子が中継される。
それでも、画面を見た人が即座に現実だと認識できるとは限らない。
「お笑い番組の設定か?」
「ドラマの一場面じゃないのか?」
今なら、さらにこう思うかもしれない。
「AIで作った動画じゃないのか?」
生成された映像がSNSにあふれる時代では、本物の非常事態ほど、かえって現実だと信じてもらえない可能性がある。
異常なものを見ても、私たちはまず日常の範囲で理解しようとする。周囲が動かなければ、自分もまだ動かなくていいと思う。正常性バイアスと同調性が重なり、対応が遅れていく。
作中の政府も、前例のない事態を前にして簡単には決断できない。
占領軍の兵士が普段着に着替えれば、外見だけで一般市民と区別するのは難しい。交通や物流を止めれば、国民生活に甚大な影響が出る。しかし、迷っている間にも事態は進む。
情報はある。会議もしている。それでも動けない。
平和に慣れた日本への警鐘として読むと、刊行当時より現在のほうが、むしろ怖い。
前例がないなら、勝手に作ればいい
私は普段、少人数の組織で仕事をしている。
大きな組織ほどの人員も資金もない。その代わり、小回りは利く。
前例がなくても、ルールが決まっていなくても、違法でさえなければ試せる。昨日まで誰もやっていなかったことを、今日から始めることもできる。
何か起きたときに、何段階もの承認を待つ必要もない。
「だったら、やってしまおう」
それで動ける。
もちろん、規模の小ささは弱点にもなる。だが、平時の常識が役に立たない局面では、身軽さそのものが武器になる。
その意味で、政府や特殊部隊を差し置いてイシハラたちが動き出す展開に惹かれるのは、偶然ではないのかもしれない。
※ここから先は、物語の結末に触れます。
失うものがない者たちが、前へ出る
政府には権限がある。特殊部隊には装備も訓練もある。
本来、占領軍に立ち向かうべきなのは彼らのはずだ。
それなのに、前例のない事態を前にして動けない。守るべきもの、従うべき手続き、失敗したときに負う責任が多すぎるのかもしれない。
その横を、イシハラたちが通り過ぎていく。
社会的な地位も、安定した生活も、守ってくれる組織もない。失うものが何もないように見える彼らは、怖いもの知らずというより、恐れる理由さえ失っている。
だから、毒虫やブーメランを手に、捨て身で占領軍へ向かっていく。
社会から見放されてきた若者たちが、その社会を守るために戦う。
ただ、社会的弱者というだけでは、僕が面白いと思ったところは言い切れない。一見ホームレスのようなアウトサイダーたちが、ある特定の能力ではめちゃくちゃ突出している。北の侵略軍を倒すのが、国や特殊部隊ではなく、彼らなんだ。とにかく、僕には「超・能力アウトサイダー達の反撃」って感じなんだ。
しかも、彼らが立ち向かう占領軍の兵士たちにも、過酷な環境を生きてきた事情があり、それぞれの正義がある。どちらか一方を悪だと思えれば、もっと気楽に読めたはずだ。
けれど、村上龍はそうさせてくれない。
敵にも味方にも感情移入させたうえで、両者を衝突させる。
「そんなもの、本当にあるのか」
そして最後には、V型成形爆破線でホテルの鉄骨を切断し、占領軍の陣営がある方向へ建物を倒壊させることで、陣営を殲滅する。
文字にすると、ずいぶん無茶な話だ。
ところが、読んでいる最中には無茶だと思わない。そこへ至るまでに積み上げられた膨大なディテールが、常識外れの作戦を現実のものとして見せてしまう。
読み終えたあと、私は思わず調べた。
「V型成形爆破線。そんなもの、本当にあるのか……」
あった。
作中だけの架空兵器ではなく、鋼材を切断するために実際に使われる火工品だった。
痛快、だけでは終わらない
イシハラたちの反撃はたしかに圧巻だ。
けれど、ホテルが倒壊して占領軍が壊滅しても、単純に「やった」とは思えない。
占領軍にも、すでに感情移入してしまっている。そして、反撃する側の仲間も何人も死んでいく。
だから圧巻のラストなのに、せつない。
胸が高鳴るのと同時に、泣けてくる。
今回の再読では、激しさや興奮に加えて、哀愁を一層感じたかもしれない。登場人物の孤独や、失うものに、前より感情移入してしまった。
相変わらず登場人物は多い。でも、それぞれに描かれていないストーリーや、生きてきた環境があるんだろうな、と想像していた。
内容は分かっている。それでも、またいつか読むと思う。先を知りたいというより、こう、もう一度再体験したいのだ。