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『限りなく透明に近いブルー』を読んで · 読書感想・書評

『限りなく透明に近いブルー』村上龍|もう読みたくない。でも、次の作品が読みたくなった。

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もう一度読みたいかと聞かれたら、たぶん読まない。

嫌いだったのかと聞かれても、少し答えに困る。

村上龍の『限りなく透明に近いブルー』は、そんな一冊だ。

村上龍を読み始めた比較的初期に手に取った作品だった。内容の細部はもうあまり覚えていない。ただ、あの刺激の強さと、読み終えたときの後味の悪さは残っている。

それなのに、この本を読んだあと、僕は続けて村上龍のほかの作品にも手を伸ばした。

不思議なものだと思う。

読む側にも体力を要求する小説

本作は1976年に発表された村上龍のデビュー作で、芥川賞を受賞している。

米軍基地のある街を舞台に、ドラッグやセックスに溺れる若者たちの日常が描かれる。

こうして簡単に説明すると、それほど珍しい物語には聞こえないかもしれない。

でも、実際に読んだときの印象はずいぶん違った。

過激なのは、そこで描かれている出来事だけではない。文章にも独特のリズムがある。次々と刺激的な描写が押し寄せてくるような、落ち着かなさ。

読むタイミングによっては、最後まで読み通せないかもしれない。

そう思うほどだった。

僕自身、読んでいて気持ちのいい作品ではなかった。退廃的な空気も、登場人物たちが生きる世界も、自分の好みに合っていたとは言いがたい。

それでも、こんな世界を、こんな文章で描く作家がいるのかという驚きはあった。

好きではない。でも、凄みはある

小説を読んで面白かったと思うことと、その小説が好きになることは、必ずしも同じではない。

この本については、特にそう感じる。

刺激的だった。独特だった。知らない世界を見せられた。

けれど、読後感は悪かった。

物語の細かい場面について、今あれこれ語れるほどの記憶はない。だから、作品のどの部分がどう優れているのかを、知ったふうに分析するつもりもない。

ただ、作家としての凄みは感じた。

嫌悪感を覚えるほどの世界を描きながら、最後まで読ませてしまう。内容を忘れても、読んだときの刺激が残っている。

それは、僕にとって決して小さなことではなかった。

とはいえ、誰かに積極的に薦めたいかというと、そうでもない。

人によっては強く惹かれるのだろうし、逆に、読み進めること自体が苦痛になるかもしれない。

少なくとも僕は、もう一度あの世界に入りたいとは思わない。

それでも村上龍を読み続けた

面白いのは、ここからだ。

この作品自体はそれほど好きになれなかったのに、村上龍という作家には興味が残った。

そして、ほかの作品を読み始めた。

その後に出会った『半島を出よ』『希望の国のエクソダス』『オールド・テロリスト』『愛と幻想のファシズム』などは、僕の大好きな作品になった。

特に好きなのは、社会の秩序がひっくり返るような物語だ。

政府や既存の権力など、圧倒的に強いはずの側が、少数の侵略軍や老人、ホームレスといった、普通なら弱い立場にいる人々によって翻弄される。

そこに痛快さを感じる。

もちろん、現実にそうなってほしいという話ではない。小説だからこそ楽しめる、常識や力関係の逆転だ。

しかも村上龍の場合、その設定に妙な現実味がある。

荒唐無稽なはずの話なのに、もしかするとこんなことが起きるのではないかと思わせる。登場人物たちは極限状況で判断を迫られ、物語は大きく動いていく。

あのスケールと緊迫感が好きなのだ。

『限りなく透明に近いブルー』で感じた過激さとは、また違う面白さだった。

嫌いな作品が、好きな作家への入口になる

『限りなく透明に近いブルー』を読み終えて、満足感があったわけではない。

むしろ後味は悪かったし、読み返したいとも思わない。

それでも、次の作品を読んでみたいと思わせる何かがあった。

好きな一冊を読んで、その作家のファンになる。それならわかりやすい。

けれど、あまり好きになれなかった一冊から、その作家の作品を次々と読むようになることもある。

僕にとって、この本はそういう存在だった。

今、村上龍の好きな作品を挙げるなら、まず『半島を出よ』が浮かぶ。ほかにも甲乙つけがたい作品がいくつもある。

その一方で、『限りなく透明に近いブルー』には戻りたいと思わない。

好きな作家だからといって、すべての作品を好きになる必要はないのだろう。

あの読後感の悪さも、作家としての凄みも、今はそのまま記憶に残っている。

そして結局、ほかの村上龍作品に手を伸ばした。

それが、この本を読んだ僕の、一番確かな感想だ。

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