『愛と幻想のファシズム』村上龍|トウジとゼロ、そして原始的な死生観
トウジとゼロ。
『愛と幻想のファシズム』を思い出すと、まずこの二人が浮かんでくる。
村上龍の作品の中でも、特に好きな一冊だ。政治、経済、暴力、巨大な組織、そして社会そのものを変えてしまおうとする男たち。
とにかくスケールが大きい。
ただ、今でも印象に残っているのは、そうした壮大な物語だけではない。
時がたち、組織もデカくなり、絶大な影響力を持つようになっても、トウジとゼロの関係は、変わってるようで変わってない。
それから、トウジの死生観だ。
狩猟者が社会を動かしていく
主人公の鈴原冬二、通称トウジは、狩猟を通じて自然界の生存競争を知る男だ。
彼を中心に、政治結社「狩猟社」が形成されていく。
さまざまな人間が集まり、組織は徐々に大きな力を持つようになる。やがて日本の政治や経済、さらに世界規模の権力構造にも挑んでいく。
この展開が面白い。
最初は少数の人間たちだったはずなのに、いつの間にか巨大な組織になり、既存の政治家や財界人を翻弄するほどの影響力を持ってしまう。
しかも、彼らのやり方は穏やかなものではない。
トウジは冷酷で、非情な判断もする。思想も過激だ。
強烈なカリスマ性を持つ人物に人々が引き寄せられ、権力が集中していく。その過程には怖さもある。
それでも、次に何をするのか気になって読み進めてしまう。
既存の社会が少数の人間によって揺さぶられるという、僕の好きな村上龍作品の面白さが、ここにもある。
トウジとゼロ
トウジとゼロの関係が好きだった。
時がたち、組織もどんどんデカくなり、二人が絶大な影響力を持つようになっても、その関係性や距離感は、変わってるようで変わってない。
立場も役割も変わっているはずなのに、初期の仲間同士のような空気が残っている。
互いの能力を認め合っていて、組織上の上下関係とは別に、二人だけに通じる何かがある。
単純な友情とも違うし、ただの上司と部下でもない。
そこが妙に印象に残っている。
組織がここまで大きくなって、周りの人間も環境も大きく変わったのに、この二人はどこか昔のままなのだ。
トウジの死生観
トウジの死生観にも強く惹かれた。
狩猟者として、生きることと殺すことを自然界の摂理として捉えている。
生への執着がありながら、死への覚悟もある。
原始的というか、人間も動物も、生きとし生けるものすべてが根源的に持っている、研ぎ澄まされた感覚なのかなと思った。
そこに魅力を感じた。
冷酷な行動や過激な思想を、すべて肯定したいわけではない。
むしろ、そんな人物に権力が集まっていくことには怖さも感じる。
それでもトウジの、生と死を自然の一部として受け止めるような感覚は強く印象に残っている。
デカくなった組織の危うさ
少数の仲間たちから始まった組織が、政治や経済を動かすほどの力を持っていく。
そのスケール感は痛快だ。
一方で、組織が大きくなるほど、理想と現実の間には矛盾も生まれる。強い指導者に人々が引き寄せられ、権力が集中していくことの危うさも見えてくる。
トウジの意思や行動力には惹かれる。でも、同じ力が社会に向けられたときの怖さもある。
そういう相反する感情を抱えながら、壮大な物語を読み切った。
満足感は大きかった。
今、もう一度トウジを読みたい
『愛と幻想のファシズム』は、ぜひ再読したい。
特にトウジの思想と死生観。
今の自分が読んだら、あの原始的で研ぎ澄まされた感覚をどう受け取るのだろう。
以前と同じところに惹かれるのか、それとも違うものが見えるのか。
トウジとゼロの関係も、もう一度じっくり追ってみたい。
社会をひっくり返すほどの巨大な物語だったのに、今振り返って真っ先に思い出すのは、二人の距離感と、一人の男の死生観だったりする。
そういうところも、村上龍の小説の面白さなのだと思う。

