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『容疑者Xの献身』を読んで · 読書感想・書評

真相を知ってから残る悲しさ――東野圭吾『容疑者Xの献身』

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『容疑者Xの献身』を思い出すと、まず浮かぶのは結末の切なさだ。事件の仕掛けには驚いた。真相を知ると、それまで読んできた場面の見え方まで変わる。ミステリーとしての鮮やかさはもちろんあるのだけれど、読み終えて長く残ったのは、石神の報われなさだった。

隣人の花岡靖子と娘の美里が、靖子の前夫を殺してしまう。二人を守ろうとする石神は、自分の頭脳を使って事件を隠そうとする。一方、その謎に迫るのは、大学時代に石神を知っていた湯川学だ。何が起きたかを追う話であると同時に、石神が何を考え、どこまで引き受けようとしていたのかを知っていく話でもある。

わかったつもりで読んでいた

殺人が起き、その後の隠蔽を描く。物語の入口が示されているからこそ、読む側は「どうやって捜査をかわすのか」という方向へ考えを進める。石神は数学の才能を持つ人物で、相手が何を疑い、どう動くかまで計算しているように見える。湯川がその考えを読み解いていく展開にも引き込まれた。

仕掛けの具体的なところは、これから読む人には知らずにいてほしい。何を見落としていたかに気づく驚きは、1度目の読書でしか味わえないからだ。ただ、その驚きの先にある感情こそ、この作品を強く印象に残している理由でもある。

「献身」と呼んでいいのか

石神の行動には、胸を打たれるところがある。それと同時に、そこまでしてしまうことへの怖さも感じた。誰かを守りたいという気持ちが、どれほど強くても、彼のしたことをそのまま美しい話として受け取ることはできない。読んでいて、その気持ちを一つに決められなかった。

題名にある「献身」は、最初には誰かのために尽くすという言葉に見える。読み終えると、その言葉がずっと重くなる。どこまでが思いやりで、どこからが相手の気持ちを置き去りにした行動なのか。石神を責めるだけでも、称えるだけでも済まないところが、切なさにつながっている。

湯川が石神を知っていたこと

石神の前に現れるのが湯川だったことも、この物語を苦しくしている。湯川にとって石神は、単に事件の周辺にいる怪しい人物ではない。かつて同じ大学で学んだ、才能を知る相手だ。その湯川が謎に近づいていくから、真相の解明を待ちながらも、解き明かされてほしくない気持ちになる。

ガリレオシリーズのほかの作品では、湯川の推理や、不可解な出来事がどう説明されるかを楽しんだ記憶がある。『容疑者Xの献身』は、それに加えて人間ドラマの印象が強い。答えにたどり着けばすっきりする、という読後感ではなかった。湯川が真実を知ること自体にも重みがある。

映画を観ても残ったもの

映画も観た。原作では、石神の内面をより深く感じたという記憶がある。映像で人物を見るのとは違い、文章を読みながら、なぜ彼がそこまで考え、行動したのかを追っていく時間があった。事件の仕掛けを知ったあとも、その心の動きへ立ち戻りたくなる。

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