太陽の下を歩けなかった二人――東野圭吾『白夜行』
二人の人生を結びつけた、ひとつの事件
東野圭吾の作品を何冊か続けて読んでいた頃に手に取った一冊だったと思う。
大阪の廃墟ビルで起きた質屋殺し。被害者の息子である桐原亮司と、容疑者として疑われた女性の娘・西本雪穂。事件が解決しないまま、二人はそれぞれ別の人生を歩み始める。
けれど、その後に起こる出来事を追っていると、離れているように見えた二人の人生が、見えないところでつながっていることが少しずつ分かってくる。
ひとつの事件によって結ばれてしまった二人の子どもが、その秘密を抱えたまま、どんな大人になっていくのか。そんな設定に惹かれた。
二人を描かず、二人の輪郭を浮かび上がらせる
『白夜行』で特に印象に残ったのは、亮司と雪穂の関係そのものを、正面から描かない構成だった。
二人が胸の内を語り合う場面があるわけでもなければ、分かりやすい言葉で関係を説明してくれるわけでもない。周囲の人々の視点や、次々に起こる出来事を通して、二人の存在だけが徐々に浮かび上がってくる。
何かがおかしい。
偶然にしては出来すぎている。
あの出来事の裏にも、ひょっとすると二人がいるのではないか。
そんなふうに断片を拾い集めながら読んでいくことになる。
直接描かれないからこそ、二人の関係を考えずにはいられない。はっきり語られない部分を、読者が自分でつないでいく。その読み方そのものが、この作品の怖さであり、面白さなのだと思う。
愛だったのか。共犯関係だったのか。依存だったのか。
互いの存在がなければ生きていけないほど強く結びついている一方で、その結びつきが二人を幸せにしているようには見えない。離れられないことと、一緒にいることが救いになることは、必ずしも同じではないのだ。
それは本当に、亮司が望んだ人生だったのか
亮司は、雪穂が光の当たる場所を歩くために、その背後にある暗闇を引き受け続けたように見える。
雪穂が前へ進むたび、その陰では誰かが傷つき、亮司の人生はさらに深い場所へ沈んでいく。
それは雪穂を守るためだったのだろうし、亮司にとっては、自分が生きる意味にもなっていたのかもしれない。
けれど、それは本当に亮司自身が望んだ人生だったのだろうか。
子どもの頃に背負ったものがあまりにも重く、それ以外の生き方を選べなくなっていただけではないのか。守ることを選び続けたというより、守ることしかできなかったのではないか。
そんなことを考えてしまう。
もちろん、本人の心は最後まで語られない。
だからこそ、亮司の人生を純粋な献身と呼んでよいのかも分からない。悲しい愛だったとも、歪んだ共犯関係だったとも言い切れない。
正解がないまま、その生涯だけが残される。
映像を観てから、二人には顔がある
のちに、山田孝之さんが亮司を、綾瀬はるかさんが雪穂を演じたドラマも観た。
映像作品を観ると、原作を読んでいたときに自分の中でつくっていた人物像が、俳優の姿に置き換わることがある。『白夜行』は、僕にとってまさにそういう作品だった。
ドラマを観てからは、この物語を思い出すとき、脳内に浮かぶ亮司と雪穂は必ず山田孝之さんと綾瀬はるかさんになる。
映像によって二人の表情や声が与えられ、原作では直接描かれなかった感情にも、どこか具体的な形が生まれた。
その関係が何だったのか、今でもうまく説明できない。
この記事で扱った本
Amazonで見る白夜行