あの日を変えたら、今の僕はいるだろうか――佐藤正午『Y』
「あのとき、別のほうを選んでいたら」
そう考えたことは、僕にもある。あの言葉を言わなければ。あの場所へ行っていたら。逆に、行かなかったら。大きな決断でなくても、あとから思い返すと、あそこが分かれ道だったのかもしれないと思うことがある。
佐藤正午さんの『Y』は、その「もしも」を物語の中で本当に起こしてしまう。過去に戻って、人生を変える。時間を行き来する設定にはもともと惹かれるけれど、この本で気になったのは仕掛けの面白さだけではなかった。誰かを取り戻すために過去を変えたとき、では、それまでの人生はどうなるのか。その問いが残った。
覚えていない親友からの連絡
秋間文夫のもとに、北川健と名乗る男から連絡が入る。北川は、かつて自分たちは親友だったと言う。けれど秋間には、そんな親友の記憶がない。
渡されたのは、原稿の入ったフロッピーディスクと現金。そこに書かれていたのは、北川が何度も時間をさかのぼってきたという、簡単には信じられない話だった。
「昔の親友だ」と言われても、覚えていない。目の前にある原稿を読めば、知らなかった過去が語られている。もし北川の話が本当なら、秋間が知っている自分の人生だけが、すべてではないことになる。
ここが面白い。時間を戻した人だけが「前はこうだった」と覚えていて、ほかの人には今の人生が普通の日常として続いている。過去を変えるというと、変えたい出来事のほうに目が向く。けれど、変えたあとの世界で暮らす人にとってはどうなのだろう。自分の知らないところで、人生の前提が変わっていたら。
北川が何をしたのかを追いながら、そんなことまで考えてしまう。
取り戻したい気持ちは、愛なのか
北川が過去へ戻ろうとするのは、失ったものを取り戻したいからだ。その気持ちは分かる。大切な人について「あのとき違う行動をしていれば」と思うことがあるなら、やり直せる方法を前にして簡単に背を向けられるだろうか。
ただ、何度もやり直そうとする姿を、まっすぐな愛情とだけ呼んでいいのかは迷う。
相手を大切に思っているから、もう一度会いたい。そこには確かに愛情があるのだろう。一方で、どうしても自分の望む結末にたどり着きたいという気持ちは、執着にも見える。僕にはその境目が分からない。たぶん北川の中でも、きれいに分けられるものではないのだと思う。
誰かを取り戻すために過去を変える。その願いがかなったとして、別の誰かの人生には何が起きるのか。そこまで考えると、北川の選択を簡単に応援することも、間違いだと決めつけることもできなくなる。
もし自分が同じ立場だったら、と考える。やり直す方法があると知っていて、何もしないでいられるか。正直、自信はない。だからこそ、北川の気持ちを遠くから裁くような読み方はできなかった。
変えたい過去と、失いたくない今
僕自身にも、変えてみたいと思った選択はある。過去に戻れたら、今度は違う言葉を選ぶかもしれない。もう少し勇気を出すかもしれない。そう考えることはある。
でも、たぶんダメなんだと思う。
その選択をしなかったことも、できなかったことも含めて、今の自分がいる。一つ変えたら、その後に出会った人も、起きた出来事も、今とは違ってしまうかもしれない。変えたい一場面だけを都合よく取り替えて、あとは今のまま、とはいかない。
もちろん、過去の選択をすべて「これでよかった」と思えるわけではない。後悔は後悔として残る。別の道を選んだ自分を想像してしまうこともある。それでも、そうできなかったからこそ生まれた今もある。今あるものを失うかもしれないと考えると、過去をやり直すことは怖い。