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『龍馬伝 野望篇・青春篇・決死篇』を読んで · 読書の記録・旅

一人の龍馬に決めない――つかこうへい『龍馬伝』を読んで

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坂本龍馬に興味を持っていた頃、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読み、つかこうへいの『龍馬伝』も野望篇、青春篇、決死篇と読んだ。

ほかにも龍馬を描いた本を手に取っていたと思う。同じ人物について書かれているのに、作家が変わると、龍馬の姿はどう変わるのか。それを見てみたかった。

作家ごとに違う龍馬

一冊の小説を読むと、そこに描かれた人物が、いつの間にか自分の中で「その人」になる。龍馬ほど印象の強い人物なら、なおさらだ。

けれど、別の作家の本を開くと、今度は違う龍馬がいる。どれか一冊を正解にするより、いくつもの描き方に触れて、自分なりに人物の輪郭をつかもうとしていた。

つかこうへいの3篇を、司馬作品やほかの本とどんな順番で読んだかは覚えていない。3篇それぞれの場面も、今は具体的に語れない。

それでも、一人の著者が描いた姿だけで龍馬を決めたくなくて、次の本を開いていたことは覚えている。読み比べるほど、かえって簡単には分からなくなる。その回り道が面白かった。

本で読んだ土地へ

龍馬への関心は、本の外にも広がった。高知の桂浜や下田、長崎など、ゆかりの地にも足を運んだ。訪ねた順番はもう覚えていない。

桂浜や下田で海風を感じたとき、きっと当時もこんな風が吹いていたのだろうと思った。動乱の時代をそこに重ねてみたくなったのかもしれない。

本を読んで土地を訪ね、帰ってまた別の龍馬を読む。そんなふうに、人物の姿を探していた時期だった。

つかこうへいの『龍馬伝』3篇も、その頃に出会った龍馬像のひとつだ。ほかの龍馬本については、また別の機会に書きたい。

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