人は、見えている時間だけで生きていない――『かがみの孤城』を読んで
『かがみの孤城』は、一気に読んだ記憶がある。
表面では普通に見える子どもたちが、少しずつ互いの事情を知っていく。そして最後に、物語の中に置かれていたものが全部つながる。
その瞬間、胸がぎゅーっとなった。
驚いたから、だけではない。それまで見えていた姿の奥に、一人ひとりが抱えていた時間があったのだと分かる。その感動と切なさが、一気に押し寄せてきたのだと思う。
とにかく、すぐ帰る人だった
以前、同じ職場に、仕事が終わるとすぐに帰る同僚がいた。
誘っても断られるというより、そもそも誘う隙がない。「今日はどう?」と声をかける前から、誘うなという空気が出ていた。
当時の私は、ずいぶん付き合いの悪い人だと思っていた。
こちらを嫌っているとまでは思わなかったが、接しづらかった。仕事以外で少し話せば距離も縮まるのに、本人にはその気がないように見えた。
見えていたのは、すぐに帰る姿だけだった。
「なんだ! 言ってくれればよかったのに」
その人が家の仕事を手伝っていたと知ったのは、ずいぶんあとのことだ。本人からではなく、別の人づてに聞いた。
「なんだ! 言ってくれればよかったのに」
事情を知った私は、そんなことを言った。
本人にしてみれば、話したくなかったらしい。同情されたくなかったのだと思う。
たしかに、事情を話して「大変だね」と言われたところで、何かが解決するわけではない。話したくないことを説明して、周囲に理解してもらうことまで、本人が背負う必要もない。
そう考えると、言いたくなかった気持ちは分かる。それでも私は、「言ってくれればよかったのに」という思いを少し残していた。
事情を知らされなかったことが、どこか寂しかったのだと思う。
こちらとは、見ている優先順位が違った
あとになって本人と話しても、反応は大きくなかった。
こちらが「そうだったのか」と驚いても、本人にとっては、周囲からどう思われるかなど大した問題ではなかったのかもしれない。
今、向き合わなければならないことがある。それを済ませるために帰る。ただそれだけだった。
私は「付き合いが悪い」「接しづらい」と、人間関係の温度ばかり測っていた。けれど本人は、まったく別の優先順位で毎日を動いていた。
その温度差に気づいたとき、自分が少し幼稚に思えた。
同時に、誰にも言わず家の仕事を続けていたことを尊敬した。見方は大きく変わった。それでも本人は、こちらの見方が変わったことなど、あまり気にしていなかったように思う。
見えている姿だけでは分からない
『かがみの孤城』の子どもたちも、最初から自分の事情をすべて話すわけではない。
同じ場所で時間を過ごし、少しずつ相手のことを知っていく。表面だけを見ていたときには分からなかった苦しさが、あとから見えてくる。
最後に全部がつながり、胸がぎゅーっとなったあの感覚は、物語の仕掛けに驚いたからだけではない。
分からなかった人の姿が、事情を知ったあとでまるごと変わって見える。その瞬間を、私は現実でも一度知っていたのだ。
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