音で覚えた言葉の、その先へ――『般若心経』を読んで
仏教に興味を持ったきっかけは、仕事で付き合いのあった取引先の社長だった。その人はお坊さんでもあり、打ち合わせの中で仏教の教えを聞くことがよくあった。
そこからお寺に足を運ぶようになり、般若心経や光明真言も覚えた。
教えを順序立てて勉強するより、気になったものに触れるところから始まったのだと思う。
般若心経も、最初に覚えたのは意味ではなく音だった。繰り返し唱えるうちに、言葉の並びが口になじんでいった。
唱えられる言葉の意味を知りたくて
ひととおり唱えられるようになっても、何を言っているのかは説明できない。
自分の声で繰り返している言葉なのに、その意味は知らない。そのことが気になって、『図解雑学 般若心経』を手に取った。
本を読みながら、覚えている言葉を一つずつ確かめていく。
聞き慣れた一節にも、仏教の考え方が込められている。それまで音として通り過ぎていたところで、立ち止まるようになった。
この本では、一節ごとの意味に加えて、仏教や経典の背景にも触れられる。言葉を調べるうちに、その言葉がどこから来たのかも気になってくる。
もちろん、意味を読めばすぐに理解できる話ばかりではない。
「色即是空」も、文字で説明を追うことと、自分の感覚としてわかることの間には距離がある。それでも、その距離も含めて面白かった。
「ぎゃーてー、ぎゃーてー」の向こう
とくに想像が広がったのは、最後の「ぎゃーてー、ぎゃーてー」と唱えるところだ。
ここはマントラ、つまり真言で、サンスクリット語の音を漢字に写しているという。意味を漢字に置き換えるのとは、また違う伝え方だ。
遠い土地の言葉が、漢字で音を表され、日本まで伝わってきた。
自分が唱えている音は、元の響きとどれくらい同じなのだろう。伝わる途中で、少しずつ発音が変わったところもあるのだろうか。そんなふうに思いを馳せるのが楽しかった。
般若心経のすべてが音を写した言葉というわけではない。それでも、意味を訳した部分と、音を残した部分が一つのお経の中にあると知ると、覚えていた言葉がそれまでとは違って聞こえてくる。
まず音で覚え、あとから意味を調べた。
順番が逆だったからこそ、知っているはずの一節に何度も新しく出会えたのかもしれない。仏教への興味が、言葉の意味だけでなく、その音がたどってきた道にも広がった一冊だった。
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般若心経