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『博士の愛した数式』を読んで · 読書感想・書評

24という数字を「潔い」と思ったことがあるか――『博士の愛した数式』

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24。

ただの数字だ。僕なら、そこで思考が止まる。

でも『博士の愛した数式』の博士は、24を4の階乗として眺め、「潔い」と感じる。数字に潔いも何もあるのか。そう思いながら、面白くて仕方なかった。

友愛数の話を読むと、自分でも確かめたくなる。数学の難問を解きたいわけじゃない。博士が見ているものを、ほんの少しでも見てみたかった。

小川洋子のこの小説を読み始めたきっかけは、博士の記憶が80分しか続かないという設定だった。以前、短期記憶に障害のある人物が出てくる作品に触れたことがあり、気になったのだ。

僕自身、関心の薄いことはずいぶん忘れる。もちろん、博士の障害と同じではない。それでも、「忘れる」ということに、最初から少し引っかかっていた。

昨日のことを覚えていなくても

博士は家政婦の「私」や、その息子のルートと時間を重ねる。けれど、博士には記憶の制約がある。

一緒に過ごした時間を、全員が同じように持っていられるわけではない。

ここが切ない。

三人の暮らしには温かさがある。それだけに、博士が覚えていられないことが余計につらく感じる。覚えていないのなら、過ごした時間は何だったのか。そんな問いが頭に浮かぶ。

でも、忘れたからといって、そこで交わした気持ちまでなかったことになるとは思いたくない。

語られないことまで、気になる

博士と義姉である未亡人の関係も忘れがたい。

二人の過去は、すべて説明されるわけではない。彼女の態度も、一つの感情で割り切れない。何があったのか知りたい。でも、全部語られてしまったら、あの儚さは違うものになっていたかもしれない。

数字の話ではあんなに楽しそうなのに、博士の人生にはどうにもならない寂しさがある。

温かいのに、やるせない。

この本を思い出すとき、まず浮かぶのはその感覚だ。そして少し遅れて、24という数字が出てくる。

数に表情を見る博士の目と、覚えていられなくても確かにあった時間。ずいぶん違う話のようで、僕の中では同じ一冊に残っている。

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