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『店長がバカすぎて』を読んで · 読後エッセイ・仕事の経験

店長を笑っていたら、過去の自分が笑えなくなった――『店長がバカすぎて』を読んで

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『店長がバカすぎて』を読んで、ずいぶん笑った。

上司へのつっこみが、とにかく可笑しい。基本的には爆笑しながら読んでいたはずなのに、たしか最後には、その上司が見せる意外な温かさに泣いた記憶がある。

細かな場面はもう思い出せない。それでも、散々笑っていたはずの店長を、途中から少し違う目で見るようになった感覚は残っている。

きっと家でも、こんな感じなんだろう

主人公を苛立たせる店長の言動を読みながら、私は心の中で何度もつっこんだ。

ところが読み進めるうちに、「ようは、この人、不器用なんだろうな」と思い始めた。

うまく表に出せないだけで、本人の中には本人なりの気持ちがあるのかもしれない。私は勝手に、そんなふうに店長を見ていた。

「きっと家でも、こんな感じなんだろうな」

そう考えたところで、妙な気分になった。

店長に自分を重ねた、というのとは少し違う。「不器用」という言葉から、私自身の別の不器用さを思い出したのだ。

言いたいことはある。相手への感謝も、賛辞も、自分の中にはたしかにある。それなのに、うまく言葉にできない。伝わらないともどかしくなり、やきもきする。そして最後には、説明を諦めて黙る。

私の中では、黙っている間にもいろいろ考えている。けれど周囲から見れば、ただブスッとしている人だ。

物語の店長を笑っていたら、いつの間にか話が自分へ戻ってきた。

褒めない上司だった

以前、組織の責任者をしていた頃、私は部下を褒めるのが本当に下手だった。

言葉にして褒めたことなど、一度もなかったのではないかと思う。

部下が何かをやり遂げても、こちらの態度は「できて当たり前じゃん」だった。

なぜそんな態度を取っていたのか、今となってはよく分からない。ただ、相手から見えるのは、こちらの胸の内ではない。実際にかけられた言葉と、示された態度だけだ。

そう考えると、笑えない。

最低の上司像である。

不満を言えずに黙っていたことはないけど、良かったことを良かったと表現することが苦手だった。評価していなかったわけではない。感謝していなかったわけでもない。

しかし、伝えなければ、なかったことと同じになる。

今なら、泣いて感謝を伝える

このことに気づいたのは、ずいぶん後になってからだ。

今、当時の部下に会えたなら、泣いて感謝を伝えると思う。

あの頃、自分ひとりで仕事を動かしていたわけではない。支えてもらい、任せた仕事を形にしてもらい、それでも「できて当たり前」という顔をしていた。

急に泣いて感謝されたら、相手のほうが困るかもしれない。そこまで含めて、やはり表現が下手なのだと思う。

『店長がバカすぎて』では、私が笑っていた店長の見え方が、最後には少し変わった。その変化をきっかけに、伝えられないままになっていた自分の感謝を思い出した。

私は何も考えずに部下を見ていたわけではない。ただ、それを自分だけが知っていても仕方がなかった。

胸の内にある賛辞は、どうにか言葉にして外へ出す。

店長を笑ったあとで振り返ると、自分にも足りなかったものが見えてきた。

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